信者心得のある南礼拝場(ひながた甘露台建設・昭和9年・直後)
            (参拝場には「よろづよ 八首」ではなく、「信者心得」になっています。「信者心得」は下記参照)

                                         


                                        信徒参拝心得とは

明治39年(1906)教祖20年祭の頃より、本部始め各教会で「朝夕神拝祝詞」を定め、朝夕のおつとめ前に奏上することになる。
同時に神殿には「信徒参拝心得」(石版刷り)を掲額するようになり、昭和21年(1946)教祖60年祭まで行われ、それ以後は現在の「よろづよ八首」を
掲額するようになった。(「稿本中山真之亮伝」323頁参照)。

                                        額には「信徒参拝心得」

1、参拝の時は、容儀を正し挙動を慎み、至誠を以て、先ず神恩を謝し奉るべし。
1、祈願の意を陳ぶるには、必ず宝祚の長久国家の安穏を祈り奉り、次に一身一家の幸福を祈るべし。
1、一身一家の幸福を祈るにも、無駄なる願ひをせぬように心掛け、己が本文を尽くして、安心の地を得むことを期すべし。

右3個条の旨意相守もの也」とあった。この定めは、天理教独自の教理によるものではなく、天理教一派独立請願の必要から採用されたものである。
                                                                           (天理教辞典p442より)

                                          朝夕神拝祝詞

掛け巻くも畏き天理大神の御前に恐み恐みも白さく 大神の広き厚き大御恵みを嬉み奉り辱み奉りて 朝な夕なに拜み仕へ奉らくを諾ひ給ひて 
明つ御神と大八洲国知示す天皇の大朝廷を 天地の共無窮に守り幸へ給ひ 皇国穏に 又吾が教の教師教徒を始めて 天の下の人民の家をも身をも
平けく安けく守り幸へ給い 吾が教を彌広に彌遠に布き弘ごらしめ給へと 恐み恐みも請祈奉らくと白す。

(かけまむもかしこき てんりおほかみのみまへに かしこみかしこみもまをさく おほかみの ひろきあつき おほみめぐみを うれしみまつり 
かたじけなみまつりて あさなゆうなにおろがみつかへまつらくを うづなひたまひて あきつみかみと おほやしまぐにしろしめす すめらみことのおほみかどを あめつちのむた とこしへにまもり さきはへたまひ みくにおだひに またわがおしへのをしへびと おしへごをはじめて あまのしたの おほみたからの 
いへをもみをも たひらけくやすらけく まもりさきはへたまひ わがおしへをいやひろに いやとほにしきひろごらしめためへと かしこみかしこみも
 こひのみまつらくとまをす。)